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8/14(Mon)
極めて私的な話題なんですが、先日、私の高校時代からの友人と、ささいな事で口論となってしまいました。
自己弁護するつもりはサラサラありませんが、彼の行動、言動を客観的に見て「それどうよ?」って感じる事があったものですから、思わず口に出してしまったんですよね・・・
冷静になって考えたら、彼にとって私の意見など「余計なお世話」だったのだと思います。
自分で言うのもなんなんですが、こうしたカウンセラーの業務を長年しているせいか、なんだか変な正義感みないなものが根付いてしまって、「俺が今言わなきゃ!」なんて勝手に思い込んでしまったんですよね・・・
彼の為に・・・なんて頼まれもしない善意を安易に振りかざしてしまっただけなのかもしれません。
当然、そんな意思の疎通の無いやりとりですから、こちらが一生懸命になればなるほど向こうは拒絶してゆきます。
結果として私は一人の友人を傷つけただけで何一つ伝えられませんでした。
かなり私自身も落ち込みましたが、その時、南蔵院住職・林 覚乗さんの講話を思い出しました。
以下抜粋
人と人との出会いと言うのは損か得かではありません。
「いい人に出会いたい」「いい事にめぐり会いたい」と思う人はたくさんいる、そんな想いよりも、「自分が他の人にいい事をしてあげているか」「自分がいい人として人に出会ってるか」という事の方がもっと大事になってくるのです。
多くの人々はそういう風に欲しがるばかりで、与える事ができなくなってきてるのではないでしょうか?
我々は本当に誰と出会うか、そしてどういう場面に自分が遭遇するか、という事によって自分の一生を右に行くのか左に行くのか左右するようなたくさんの出会いが生まれてくるのだと思うんです。
そうなんですよね・・・
「自分が他の人にいい事をしてあげている」つもりになっていただけで、現実は自分がいい人として人に出会えてはいなかったんだと思います。
もはや彼も私の事を受け入れる心の余裕はないでしょうし、そうさせてしまったのも私の責任であると思います。
人間は感情の動物であり、理念や感性の違いから軋轢も生まれてくるという事を今回痛感しました。
100%正しい事が正解や正義ではなく、例えそれがグローバルスタンダードであったとしてもその人にとってNoならばただの押し付けになってしまうという事をこの歳になって身に染みて感じました。
まだまだ私も成長してないんだなぁと想いにふける店長でした。
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