◆揺れる紫煙に思うこと◆
ここまでタバコについてあれこれ書いてきましたが、私は決してタバコを吸う行為そのものを弾圧するつもりはありませんし、嫌煙運動を煽っている訳でもありません。
予めお断りしておきますが、私は元々喫煙者でしたので、愛煙家の気持ちも嫌煙家の気持ちも良くわかっているつもりです。
ですから、全てにおいて煙草が悪いのだと言っている訳ではありません。
タバコは好きな人にとっては生活のリズムを整える大切なアイテムであることは間違いありません。
その一服が何事にも換えがたい気分転換になっている人もおられるでしょう。
中にはタバコだけがささやかな人生の楽しみになっている年配の方もおられます。
それに最近では禁煙・分煙化が進み、愛煙家にとって肩身が狭い思いを強いられているのは皆さんご存知の通りです。
それゆえにきちんとエチケットやマナーさえ守って嗜む分には一向に構わないと思いますし、「吸っている」という事実だけであれやこれや文句を言われる筋合いは無いと私は思います。
確かに化学物質過敏症の方から見れば煙草は絶対的に悪いものでしかありませんが、一元的な論点で話をすると喧嘩になったり、お互い一歩も譲れない状況を作ってしまいがちです。
ですから、愛煙家の方は、せめて歩きタバコや喫煙所以外での喫煙はしないといった最低限の常識的なマナーくらいは守るべきだと思いますし、嫌煙家の方も、きちんとマナーを守っている人に対しては寛容な姿勢で接するべきだと思うのです。
化学物質過敏症の友人も、特定の場所でマナーを守ってタバコを吸われる分には別に構わないと言っています。
特定の場所で吸ってくれたなら、その場さえ避ければ直接的な暴露から逃れることができるからだそうです。
皆が皆そうした寛容な気持ちでいてくれるとは限りませんが、そういう気持ちで接しようとする人がいる事も覚えていてほしいと思います。
ですから、喫煙される方は「少しぐらい…」「俺一人くらい・・・」という安易な気持ちでタバコに火をつけるのは絶対に謹んで頂きたいと思うのです。
嫌煙者はもとより、化学物質過敏症で苦しむ人にとってタバコは有害化学物質の固まりですし、しかも空気中を無造作に漂う代物ですから、避けたくても避けようが無いものなのです。
貴方の欲求を満たす為のその一服が、知らない誰かに死を感じさせるほどの苦しみを与えてしまっている場合も無きにしもあらずなのです。
ですからその事を肝に銘じてタバコに火を着けて頂きたいと思うのです。
愛煙家の方に絶対に忘れて頂きたくないのは
「化学物質過敏症という難病で苦しんでいる人が少なからず居るということ」
「タバコによるアレルギー疾患を持つ人が潜在的に数多くいるということ」
そして彼等・彼女等にとって
「その症状を悪化させる最大の原因がタバコの煙やニオイであること」
「その漂う煙は10数メートル離れた場所であっても感知し、耐え難い苦しみを与えてしまうこと」
このことは胸に深く刻んでほしいと思います。
もちろん、疾病の有無に関わらず、臭いが嫌いな人にとってはタバコは忌むべき存在であることには変わりありません。
このように喫煙という行為はどうしても加害者になり得る要素を多分に含んでいます。
ですから「お金を払って香りを楽しんでいるんだからいいだろう」という考えは絶対に改めるべきですし、むしろその臭いが嫌な人のほうが多いという現状はよく理解するべきだと思います。
喫煙の喜びを奪い取る権利は誰にも無いと思いますが、タバコの煙を吸いたくないという権利もまた一方で存在するのは事実です。
愛煙家と嫌煙家がお互いの主張を言い合ってもどこまでも論点が交錯することはありません。
否定は否定を生み、最終的に敵対し、相手を駆逐するとでしか解決の糸口が見つからなくなってしまうことは非常に悲しい事です。
まず何よりも相手の立場を理解してあげること、そして、最低限の心配りを忘れない事で、タバコは初めて「嗜好品」と呼べるものになると思うのです。
社会の流れから行くと、これから益々タバコにまつわる論争は加速していく事と思われます。
しかし、互いに気持ちの良い生活を送る上で、必要なものは己の正当性を主張することではありません。
互いが認め合う事の大切さと、それを分かち合えるだけの材料をそれぞれ相手に対し示さなければいつまでも糸はもつれ続ける事になるでしょう。
これから先も住み良い日本を造り、残す為に、お互いのことをよく理解し、尊重しながら歩んでいける社会が構築されていくことを願ってやみません。
我々の次の世代の子供たちが健やかに育っていける環境を造っていけるのは私たち大人でしかできないのですから・・・。
Hair-Speciality CENTRAL 店長 毛髪蘇生士 細川 普充
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